■ 後退ギヤ
5速ミッションの場合、後退はたいてい5速と同じ列になり、共通のシフトロッドが関与するため、前進用ギヤと構造上の関係を持つことになります。しかし6速ミッションの場合は後退は専用の列となり、前進用ギヤとはまったく異なる構成にできます。一連の記事の最初の頃の後退ギヤの分解のところでもちょっと触れましたが、このミッションの後退ギヤは、構造の面でも前進用とかなり異なっています。
このミッションは後退ギヤも常時噛合式で、クラッチハブとギヤのスプラインがスライドするスリーブで噛み合う構造です。ただ前進用ギヤは1組のクラッチハブとスリーブが、その前後の2セットのギヤのどちらかと噛み合うのに対し、後退は1速しかないので、スリーブは一方向への動きだけとなります。そして前進用との大きな違いは、クラッチスリーブがクラッチハブ側ではなく、後退ギヤ側に取り付けられている点です。そのためクラッチスリーブがスライドするためのスプラインは、ハブ側ではなく後退ギヤ側にあります。クラッチハブには、スリーブと噛み合うためのクラッチ部しかありません。このような構造により、後退に入れた時は、ギヤ側からメインシャフトのクラッチハブ側にスリーブがスライドし、噛み合います。
分解前の後退ギヤ。
後退ギヤに関連する部品を組み合わせた状態。後退は、スリーブとシンクロナイザーがギヤ側に組み込まれている。ハブ側のスプラインが一部落とされているのは、部品脱着の都合か?
後退ギヤの噛み合いの様子。
■ 後退ギヤの構成
このミッションは後退ギヤも常時噛合式で、ハブとギヤの間にはシンクロメッシュ機構が組み込まれています。後退ギヤは1速しかないのでシフトアップ/ダウンはありません。また普通は走行中に後退に入れることはありません。ただ完全に停止する前に入れるといったことはあるでしょう。あるいは止まっている状態であっても、クラッチを切ってすぐ入れようとすると、まだ内部のギヤが惰性でまわっているかもしれません。シンクロがないと、このような時にギヤ鳴りしてしまいます。
前進用ギヤは、運転状況に応じてかなりの回転速度差をすばやく同期させることが求められますが、それに対して後退ギヤのシンクロは、前述のようなごくわずかな速度差を吸収できれば十分です。どちらかといえばギヤ鳴り防止のため、回転速度差がある時のシフト操作の抑止のほうが主目的となります。そのためダブルコーンやトリプルコーンが奢られている前進用に比べ、後退用のシンクロはかなりシンプルで簡略化されたものになっています。またスリーブがギヤからハブ側に移動して噛み合うという構造により、シンクロの構成も前進用とは変わっています。
以下に後退ギヤの構成部品を示します(アイドラギヤなどについては、こちらを参照してください)。
後退用のクラッチハブ。メインシャフトに固定される。クラッチのスプラインとコーンしかない。
後退ギヤ。ニードルローラーベアリングを介してメインシャフト上で回転できる。ギヤの横に厚みのあるスプラインがあり、ここにスリーブがはまる。スプライン部の3ヶ所の切り欠きは、シンクロナイザーリングが噛み合う部分。
後退用シンクロナイザーリング。シンクロナイザーキーを使わないので、前進用リングとは形状が異なる。外周部の3ヶ所の突起でギヤ側と噛み合う。
スリーブは一方後にしかスライドしないので、噛み合いのためのチャンファは片側(写真の上側)にしかない。その点を除けば前進用とあまり差はないように見えるが、実は細かいところに差異がある。
■ 後退ギヤ用のシンクロ
後退用のスリーブがギヤ側にあり、シンクロナイザーリングはスリーブで押されるという構造上、リングはクラッチハブ側ではなく、後退ギヤ側に取り付けられ、後退ギヤと共に回転します。このシンクロはさほど大きな同期容量は求められないので、シングルコーンタイプです。つまりリングの内側のコーン部が相手側のクラッチハブのコーン部に直接接触します。カーボンコートもありません。
もう1つの特徴は、シンクロナイザーキーがないことです。前に説明したように、シンクロナイザーキーは、リングがクラッチハブと共に回転するための位置決め(そして多少のずれを許容)と、シフト操作の最初の段階でリングを押すという働きがあります。
後退ギヤにはシンクロナイザーキーはなく、代わりにギヤとリングが凹凸で噛み合うような形状に加工されています。リング側の突起とギヤ側の刻みの幅の違いにより、前進用のハブとリングと同様に、回転方向にスプライン半歯分回転できるようになっています。これによりキーの働きのうち、ずれを許容しながら回転を伝えるという機能は代替できます。
ギヤ側スリーブとシンクロナイザーリングを組み合わせた状態。
ギヤ側とリングの噛み合い部分。
シンクロナイザーキーのもう1つの働きは、スリーブがリングのスプライン部に進む前に、リングのコーン部を相手側に押し付けることです。これにより、回転速度差がある時に、リングのスプラインの位相が半歯ずれ、スリーブとリングのチャンファが当たるようになります。そして回転速度差がなくなるまで、スリーブはリングを押しつつ、相手のクラッチ部への進行が抑止されます。
後退ギヤの場合も、スリーブの移動でまずリングを相手側のクラッチハブのコーンに押し付けなければなりません。この時、キーの代わりになるのが、シンクロナイザーキースプリングという輪っか状の部品です。キーを使う場合も同じ名称のスプリングを使いますが、ここで使うものは形状や働きが異なります。
これはバネ材の針金を丸い輪の形にしたものです(前に説明したキースプリングは輪が閉じておらず、Cの字の形状でした)。この形状は一般には「リング」と呼ばれますが、ここでは「リング」はシンクロナイザーリングのことを示してきたので、このスプリングに関しては「輪っか」と表記します。
前進用のシンクロナイザーキースプリングは、シンクロナイザーキーを外側に押し出すためのものでしたが、後退用のものは働きが異なります。
輪っか状のシンクロナイザーキースプリング。
この輪っか状のスプリングは、スリーブとシンクロナイザーリングの間にはまります。
シンクロナイザーリングの外周部には、ギヤとの間で回転を伝達するために3箇所の突起があります。この突起部分に乗っかるようにキースプリングをはめ込むと、3箇所の突起部以外では、リング状のスプリングは内側方向に隙間ができます。
スプリングをシンクロナイザーリングにはめる。
スリーブとギヤ側のスプラインの形状にも工夫があります。このスプラインは1周のうちの3箇所だけ、形状が異なっています。具体的にはスリーブのスプラインの山が高く、ギヤ側の谷が深くなっています。そのためギヤとスリーブは、この3箇所の位置を揃えないとはめ込むことができません。
スプラインの形状が異なる部分(ギヤ側)。
スリーブ側の山が高いスプラインは、さらに肩の部分が斜めに落とされています(チャンファ加工)。この理由は後で説明します。
スプラインの形状が異なる部分(スリーブ側)。山が高く、肩が斜めに落とされている。
スリーブがシンクロナイザーリングまで進んでチャンファが接触した後、スプラインが噛み合いますが、この背の高いスプラインが当たる部分は、リングの側も谷が深くなっていて、リングと正しく噛み合えるようになっています。
リング側の谷が深い部分。
スリーブの3ヶ所の背の高い山の部分の直径(内径)は、輪っか状のシンクロナイザーキースプリングの直径よりわずかに小さくなっています。そのためスリーブの内側にスプリングをはめると、すこし変形して、この3ヶ所の山だけがスプリングに接触します。
スリーブ内側にスプリングをはめた状態。赤丸の3ヶ所でのみ接触している。
スプラインの位置を合わせてスリーブとリングを組み合わせる時、スプリングは以下のような状態になります。最初、スプリングはリングにはめておきます。
スリーブ、リング、スプリングの状態。
シンクロナイザーリングの突起部の外形、スプリングの線材の直径、スリーブのスプラインの高い山の内径は微妙な関係になっており、スプリングはリングやスリーブにはまっている状態では真円ではなく、ちょっとおにぎり形になります。リングにはまっている時は、リングの突起部を(ゆるい)頂点とするおにぎり型で、スリーブにはまっている時は、頂点と頂点の間を押し込む形でおにぎり型になります。この2つのおにぎりの形は微妙に異なり、スリーブ内の時のほうが、わずかに頂点がとんがる形になります。その結果、リングに接していた頂点部分は外側に広がるため、リングとの接触が弱くなります。リングにスプリングをはめた状態でスリーブの中に押し込むと、スプリングはスリーブの高い山で支えられ、リングを外した時、スプリングはリングからはずれ、スリーブに残ります。つまりこのスプリングは、スリーブやリングの動きに応じて、多少前後動するということです。
■ シンクロの動作
この輪っか状態のシンクロナイザーキースプリングによるシンクロ機構の動きを見ていきます。
0. スリーブが中立位置
ミッションがニュートラル、あるいは前進ギヤの状態では、スリーブは後退ギヤのスプライン上で中立位置にあり、リングとスリーブは接触していません。スプリングはリングの3ヶ所の突起の上に乗った状態です。この位置では、ギヤ側のスプライン部とスリーブはほぼ重なり、リング取り付け側ではほぼ面一状態になります。
ギヤとスリーブが中立位置で噛み合った状態。ほぼ面一になる。
スプリングのはまったリングはこのように位置する。スプリングはリング側の突起の上にある。
中立状態。
1. シンクロナイザーリングを押す。
スリーブの背の高い山に対応する位置は、リングの谷が深くなっています。リングにはめられたスプリングの外径は、この部分では谷底よりも外側になります。スプリングの外径は、谷が深くない部分では谷の底とほぼ同じですが、深い谷の部分だけは、スプリングがちょっと谷底から飛び出す状態になります。
クラッチハブ側から見ると、深い谷の部分だけスプリングが見えている。
スリーブが進むと、背の高いスプラインの山の肩部分が、リングの深い谷の底でスプリングに接触します。これによりスプリングを取り付けたリングが押され、リングがクラッチハブのコーンに接触します。
スリーブのスプラインの肩部分がスプリングを押している状態。これでリングとクラッチハブのコーンが接触する。
2. スリーブとリングのチャンファが接触
スリーブの高い山の位置は、リング側の突起のちょうど中間なので、この部分はスプリングが宙に浮いています。スプラインの山の肩の部分は斜めになっているので、スリーブをさらに進めると、この高い山はスプリングを押し下げ、スプリングの上に乗り上がります。
スプラインの背の高い山の肩は斜めに落とされている(チャンファ加工)。
これによりスリーブはさらに進み、リングのチャンファに接触する位置に達します。
スリーブのスプラインがスプリングを押し下げて(赤丸の部分)さらに進み、リングとスリーブのチャンファが接触する。
3. スリーブがクラッチハブに進み、噛み合う
以後の動きは前進用のシンクロと同じです。ギヤとクラッチハブの速度が揃ったら、スリーブはリングを中立位置にずらして進み、クラッチハブ側のスプラインと噛み合います。
スリーブの高い山のスプラインが、スプリングの上に乗り上がっている。
スリーブがリングと噛み合い、さらに進む。
スリーブが最後まで進んで、クラッチハブと噛み合う。
一連の動き。
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この一連の動きは、前進用のシンクロナイザーキーとスプリング、シンクロナイザーリング、スリーブの関係と同等であることがわかります。チャンファが接触する前にリングのコーンを接触させてスプラインの位相をずらし、その後、スリーブとリングのチャンファ部が接触して同期操作を行います。そしてチャンファ部で位相を揃えてスリーブがさらに進み、相手側のクラッチと噛み合います。
シンクロナイザーキーがなくても、スリーブのスプラインの高い山とリング側の深い谷、スプリングの直径の関係により、前進用のシンクロメッシュ機構と同じように機能することがわかります。ではなぜ、前進用のシンクロはこの単純な構造を採用しないのでしょうか? これは想像ですが、前進時の過酷なシンクロ動作では、この機構は不十分なのでしょう。キーの押し付けとチャンファの接触という手順を適切に行えないと、スリーブのスライドの抑止が適切に行えず、ギヤ鳴りが発生します。後退用のシンクロは、過酷なシフトに耐えないのかもしれません。
■ スプリングの位置
最後にひとつ、後退ギヤから中立に戻る時のスプリングの位置について書いておきます。前に触れましたが、リングにスプリングがはまっている状態でスリーブがスライドすると、スプリングはリングの高い山で支えられ、リングから浮きます。そしてスリーブが中立位置に戻る時にリング上からスプリングを持って行ってしまうと、再度後退に入れようとした時に、スリーブの高い山の肩でスプリングを押すという工程が行えません。スリーブが中立位置にある時は、スプリングは常にリング側にはまり、スリーブにははまっていないということが求められます。
このスプリングをリング側に残すという作業は、スリーブが中立位置に戻る時にうまく行われます。中立状態の時、ギヤ側のスプライン部とスリーブはほぼ面一の状態になります。リングの回転を連携させる突起部分(スプリングはここに乗っかります)は、スプラインの内側にはまり込んでいます。このような構造により、スリーブ内側にスプリングがはまっている状態でスリーブが中立位置に戻ると、スプリングはギヤ側スプラインに当たり、スリーブから押し出されます。押し出された先にはシンクロナイザーリングがあり、リングの突起部分の上にはまることになるのです。
つまりこのスプリングは、つねにギヤ側スプラインとリングのスプラインの間の突起上に位置し、スリーブがないときはリングにはまり、スリーブが移動してくるとスリーブにはまるという形になります。ギヤ、スリーブ、リング、ハブの中立状態の断面図を見ると、スプリング(紫の丸)が、この位置から動きようがないことがわかります。
ただの1本の輪っか状のスプリングですが、なかなか細かい動きをしているのです。
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次回は、クラッチ部のチャンファのこと、ギヤの仕様などをまとめます。